SAKE(5)
イメージ、って言葉をよく使うけど、何気にテキトーな言葉だよね。
こんなかんじ、ってことなんだろうけど。
そう、その、そんなかんじ、の話をしてもしょうがないので、いや、実はそれが問題なのだけど、お酒を作る時に、というか、作り始める準備段階でどんなふうに出来上がりの味を考えるのかなあ、っていうことに興味があったので、聞いてみたんだ。
「設計図」と呼んでいるみたいなのだけど、刈穂では、蔵元(会社)がそれを考える。
どんなお米をどれくらいの精米歩合にして、麹、酵母はどんなものを使って、最終的にどんな純米酒にとかどんな大吟醸酒に、という設計図を杜氏に伝え、作ってもらうという方法でやっているそうだ。
家を建てるのに例えて、設計士が蔵元で、大工の棟梁が杜氏みたいなもの、と説明してくれた。
天の戸では、お酒の最終的なイメージとか考えるのは会社なんですか?という聞き方で尋ねたのだが、ああそれは杜氏ですね、と答えが返ってきたので、設計図みたいの会社で考えたりしないんですか?ともう一回聞いたのだが、うーん、だいたい杜氏ですね、とのことだった。
そんなことそれ以上しつこく聞くのもシロートとしてカッコ悪いのでやめたけど、あと、例えば、商品のネーミングとかはお酒が出来てから考えるのかそれとも事前に考えるのか、とか、その辺は興味あるなあ。
とか思いながら天の戸のウェブをポチポチしてたら『夏田冬蔵 −新米杜氏の酒造り日記』(無明舎、1995年)というなんとも惹かれるタイトルの本が目に飛び込んできた。著者の森谷康市氏は天の戸の現杜氏で、1957年生まれ、酒造り業界では(おそらく)とても若い杜氏で、農学部卒業後この道に入って修行の後、32歳の若さで杜氏になって、というようなことが紹介文に書いてあるから、醸造理論と想像力が駆使されて、いろんなタイプの天の戸が出来上がっているんだろう、などと極めて勝手な想像にワクワクしながらこの本を取り寄せて読んでみた。
もう、とにかく、面白い。
トイレ入るにも持ち歩き、日が暮れて字がギリギリ見えるくらいになるまで周りが暗くなっているのも忘れていた、みたいな、猛スピードでページが過ぎていって、途中半分くらいのとこだけど、いったん止めた吟醸酒作りを再開したはいいけど、うまく出来ず、3年目にやっと成功して、しかも全国大会で金賞を、ってとこでは、つられて嬉しくなって、うわわわ〜んと思わず大泣きしてしまったよ。
白状するが、と前置きがあって、蔵に入る前は吟醸酒というものの存在や酵母のこととか知らなかった、って、著者は言う。大学卒業後、実家に戻って家業の農業をやっていたのだが、農閑期の冬に何か良い仕事はないかなあ、と思いながら田んぼの草むしりをしていたところに、中学の同級生の天の戸の専務(現社長)がトラックから降りてきて「今度の冬からうちの蔵にきてみないか」って酒造りの仕事に誘われて、というのが今に至るきっかけだったのだそうだ。
「なんにも知らなかった」というのが謙遜なのかどうか別にしても、本当に酒造りのことがわかり易く語られている。
そう、知ってる知ってる、っていう人の話はどんなに聞いてもさっぱりわからないのだけど、でも、この森谷杜氏は酒造りの科学みたいなことなんかほとんど書いてないけど、そんなこと知ってもしょうがない、ってことが、よーく身に沁みてわかる。では、なにが大事か、なんてこともゼンゼン書いていない。いったい何が大事なんだろうか?っていう著者の語りに引き込まれるだけなんだ。
冬の間蔵に泊り込み、朝は5時前に起きて薪で火をおこして米を蒸すお湯を沸かして、というところから一日が始まり、厳寒期の冷たい水で何百キロもの米を研いで、雪が吹き込む寒いとこから一転サウナ室みたいな麹室に移動しての作業をしたかと思えば、合間に雪下ろししたり水とか薪を運んできたり(雪がたっぷり積もった道をたっぷりの薪を積んだ一輪車で蔵から50メートル離れた小屋を4往復、とか想像しただけでオラ、ばてる)、で夕方5時くらいに晩飯なのだが、その後さらに麹を揉みほぐす作業して、、、いや、あの、苦労しないといけないのだなあ、なんてことでは、なくて、実際、労働時間とか昔のまんまじゃ働く人いなくなるだろうってことだと思うが、今はひたすら楽にやるように工夫してるらしいけど、体使って、体動かして、天の戸っていうお酒が出来るんだなあ、っていう、そういやあ、料理だってそうだったよ、そうだよそうだよ、っていう当たり前のとこに引き戻されて妙に納得しちゃったの。知識や記憶(だけ)じゃ駄目なんだよ、なんだってかんだじゃねーだろ、肉体派じゃー、ゴーゴー!!ってこと。
いきなり飛躍するようだけど、イメージっていうのは、それなんだよきっと、棒高跳びの選手が飛ぶ自分をイメージするみたいに、でも、何度も何度もチャレンジして補正を繰り返し、自分が操る手足といっしょにバーが落ちなくなるようにイメージ、何かが達成される時の手掛かりみたいなもの、イメージ、カラダと重なるアタマみたいの、、、うーん、飛び過ぎ注意〜〜〜!?
でもね、どうしたいか、ってそれさえ常に発展途上、ってのもありみたいな。
だけど、なぜか知らんが、好き、だからみたいな。
あ、その晩飯の後の麹を揉みほぐす作業だけど、最近は麹にバッハやモーツァルト聞かせて育てるとこもあるらしいが、天の戸では物凄ーいシモネタ合戦の中で行われるそうだ。
物凄ーいシモネタ、ってどれくらいなのだろうねえ!?
味わいの秘密はそれかもしれないwww
さて、お話は、っていうか、状況はさらに跳んで、「知り合いの店が空くみたいだけど」っていう情報をS郎氏が教えてくれて、行ってみると、そこは駅から近くはないが決して遠くはなくて、10人で満員みたいな狭さだけど、見てすぐに「秋田ばる七尾」っていう店名を思いついて、これはいいみたいだ、と思って、急にそれこそアタマもカラダもフル回転になったわいな(つづく)。
こんなかんじ、ってことなんだろうけど。
そう、その、そんなかんじ、の話をしてもしょうがないので、いや、実はそれが問題なのだけど、お酒を作る時に、というか、作り始める準備段階でどんなふうに出来上がりの味を考えるのかなあ、っていうことに興味があったので、聞いてみたんだ。
「設計図」と呼んでいるみたいなのだけど、刈穂では、蔵元(会社)がそれを考える。
どんなお米をどれくらいの精米歩合にして、麹、酵母はどんなものを使って、最終的にどんな純米酒にとかどんな大吟醸酒に、という設計図を杜氏に伝え、作ってもらうという方法でやっているそうだ。
家を建てるのに例えて、設計士が蔵元で、大工の棟梁が杜氏みたいなもの、と説明してくれた。
天の戸では、お酒の最終的なイメージとか考えるのは会社なんですか?という聞き方で尋ねたのだが、ああそれは杜氏ですね、と答えが返ってきたので、設計図みたいの会社で考えたりしないんですか?ともう一回聞いたのだが、うーん、だいたい杜氏ですね、とのことだった。
そんなことそれ以上しつこく聞くのもシロートとしてカッコ悪いのでやめたけど、あと、例えば、商品のネーミングとかはお酒が出来てから考えるのかそれとも事前に考えるのか、とか、その辺は興味あるなあ。
とか思いながら天の戸のウェブをポチポチしてたら『夏田冬蔵 −新米杜氏の酒造り日記』(無明舎、1995年)というなんとも惹かれるタイトルの本が目に飛び込んできた。著者の森谷康市氏は天の戸の現杜氏で、1957年生まれ、酒造り業界では(おそらく)とても若い杜氏で、農学部卒業後この道に入って修行の後、32歳の若さで杜氏になって、というようなことが紹介文に書いてあるから、醸造理論と想像力が駆使されて、いろんなタイプの天の戸が出来上がっているんだろう、などと極めて勝手な想像にワクワクしながらこの本を取り寄せて読んでみた。
もう、とにかく、面白い。
トイレ入るにも持ち歩き、日が暮れて字がギリギリ見えるくらいになるまで周りが暗くなっているのも忘れていた、みたいな、猛スピードでページが過ぎていって、途中半分くらいのとこだけど、いったん止めた吟醸酒作りを再開したはいいけど、うまく出来ず、3年目にやっと成功して、しかも全国大会で金賞を、ってとこでは、つられて嬉しくなって、うわわわ〜んと思わず大泣きしてしまったよ。
白状するが、と前置きがあって、蔵に入る前は吟醸酒というものの存在や酵母のこととか知らなかった、って、著者は言う。大学卒業後、実家に戻って家業の農業をやっていたのだが、農閑期の冬に何か良い仕事はないかなあ、と思いながら田んぼの草むしりをしていたところに、中学の同級生の天の戸の専務(現社長)がトラックから降りてきて「今度の冬からうちの蔵にきてみないか」って酒造りの仕事に誘われて、というのが今に至るきっかけだったのだそうだ。
「なんにも知らなかった」というのが謙遜なのかどうか別にしても、本当に酒造りのことがわかり易く語られている。
そう、知ってる知ってる、っていう人の話はどんなに聞いてもさっぱりわからないのだけど、でも、この森谷杜氏は酒造りの科学みたいなことなんかほとんど書いてないけど、そんなこと知ってもしょうがない、ってことが、よーく身に沁みてわかる。では、なにが大事か、なんてこともゼンゼン書いていない。いったい何が大事なんだろうか?っていう著者の語りに引き込まれるだけなんだ。
冬の間蔵に泊り込み、朝は5時前に起きて薪で火をおこして米を蒸すお湯を沸かして、というところから一日が始まり、厳寒期の冷たい水で何百キロもの米を研いで、雪が吹き込む寒いとこから一転サウナ室みたいな麹室に移動しての作業をしたかと思えば、合間に雪下ろししたり水とか薪を運んできたり(雪がたっぷり積もった道をたっぷりの薪を積んだ一輪車で蔵から50メートル離れた小屋を4往復、とか想像しただけでオラ、ばてる)、で夕方5時くらいに晩飯なのだが、その後さらに麹を揉みほぐす作業して、、、いや、あの、苦労しないといけないのだなあ、なんてことでは、なくて、実際、労働時間とか昔のまんまじゃ働く人いなくなるだろうってことだと思うが、今はひたすら楽にやるように工夫してるらしいけど、体使って、体動かして、天の戸っていうお酒が出来るんだなあ、っていう、そういやあ、料理だってそうだったよ、そうだよそうだよ、っていう当たり前のとこに引き戻されて妙に納得しちゃったの。知識や記憶(だけ)じゃ駄目なんだよ、なんだってかんだじゃねーだろ、肉体派じゃー、ゴーゴー!!ってこと。
いきなり飛躍するようだけど、イメージっていうのは、それなんだよきっと、棒高跳びの選手が飛ぶ自分をイメージするみたいに、でも、何度も何度もチャレンジして補正を繰り返し、自分が操る手足といっしょにバーが落ちなくなるようにイメージ、何かが達成される時の手掛かりみたいなもの、イメージ、カラダと重なるアタマみたいの、、、うーん、飛び過ぎ注意〜〜〜!?
でもね、どうしたいか、ってそれさえ常に発展途上、ってのもありみたいな。
だけど、なぜか知らんが、好き、だからみたいな。
あ、その晩飯の後の麹を揉みほぐす作業だけど、最近は麹にバッハやモーツァルト聞かせて育てるとこもあるらしいが、天の戸では物凄ーいシモネタ合戦の中で行われるそうだ。
物凄ーいシモネタ、ってどれくらいなのだろうねえ!?
味わいの秘密はそれかもしれないwww
さて、お話は、っていうか、状況はさらに跳んで、「知り合いの店が空くみたいだけど」っていう情報をS郎氏が教えてくれて、行ってみると、そこは駅から近くはないが決して遠くはなくて、10人で満員みたいな狭さだけど、見てすぐに「秋田ばる七尾」っていう店名を思いついて、これはいいみたいだ、と思って、急にそれこそアタマもカラダもフル回転になったわいな(つづく)。
- 2012.09.26 Wednesday
- 日本酒
- 13:28
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- by umaumagokkun