マボロシ



左手の薬指ちゃんとか脳味噌君とか、ちょっとコートームケーだったかもしれないけど、自分、って何だ?っていう疑問病が再発して、そんな試みをしてみたんだけど。

自分は何者なのか?そういう不安感みたいのの最初は、小学校くらいからだろうか?何年何月に生まれて、どこに遊びに行ったとか、友達の名前とか、履歴書みたいのを作っていつもランドセルに忍ばせていたりしたのだなあ。

自分の手、というのは、どこからどこまでが「自分」なのだろう?医学的部品的な「手」を探してもあんまり意味がない。自分の意志で動かすことが出来る範囲としての「手」。自分の歯ブラシ、というのは単なるモノではなくて、自分の口に入るモノ。自分のお金、というのは、これはとっても面白い、自分の財布の中の硬貨や紙幣、「自分の」口座、そんで自分のものである証明が印鑑や暗証番号、パスワード、指紋、静脈認証なんてものまで。

例えば、グーグルとかアップルとかマイクロソフトとかアマゾンとか、(おや、みんな米国の会社)、「個人」が認証でログインしてサービスを使用して、クラウドっていうことでいいのか?でも管理者はあくまでビジネスだから、慈善事業じゃない、クラウド、雲の奥で個人の趣味指向思考性格性癖その他について、調べ上げコントロールし、囲い込む、ってやりかたが、所謂WEB2.0からの。

例えば、音楽。アマゾンのサイトに、商品としての音楽はほとんど用意されている。ユーチューブで無料で聞くこともできる。ダウンロードしたり聞いたり見たりで、「自分の」音楽コレクション。

さて、私の手、というとき、私は手ではない。私=手ではない。私に属する手。私の国、というとき、私は国ではない。私の母というとき、私は母ではない。私のウンコというとき、私はウンコではない。

そして、手や国、母、ウンコそれぞれも「私は」という権利がある。実体があるか無いかコートームケーかに関わらず、私はどこにも在りえる。

手と思っているもの、国と思っているもの、母と思っているもの、ウンコと思っているもの、それらが少しずつ少しずつ、でも確実にある方向へ変化している気がする、ってことを思っているのだけど。

それは境界に関することなのだが、境界が変わると「私」は不安、度を超すとヒステリー、パニックになる。わかりやすい例が失恋(や得恋)。ヒトが生まれたり死んだりというのは本当は最大に境界のはずだけどそうでもないのは、生や死、そのこと自体は理解しやすいように言葉や儀式が整備されているからなんじゃないかな?喜びや悲しみというのは登って降りるだけ。

現在絶好調に進んでいる境界の変化は、市町村合併の個人版みたいの、とりあえず趣味指向思考性格性癖とかで線引きできる個人はガバーッと網ですくい上げて処理されてて、それは物凄く巧妙なプロセスを経たマジックみたいな催眠術みたいな。

いたいけな個人を守る為に、みんなのお金を再分配っていう「国」君は、いたいけ国民君達の相手してたらお金持ちになれないし、ってことで、どんどん違うものになっていっている気がするし、中身が「雲」に乗っ取られ途中なのかも?

国というのは、ある特徴のある文化と空間の中で生きる人達、じゃないかと思うのだけど、そんでそれは上とか下とか、支配と被支配じゃないと思うのだけど、だって、憲法や法律は決めごとであって、議員や官僚は仕事人であって、支配者ではない。だから選挙は「上の人」を決めるのじゃない。実質、党とかは何らかの勢力、利益団体の代表で、そんなのは仕方ないけど、もう、というかとっくにそれは国を超えてしまって、利益(お金)を最大に
するにはどうすればよいか、っていう、それだけ、でもそれもそういう「私」の欲望の結晶!?

(例えば)「国」は無くなってもいい。大事なものならば、違う「私」となって存在を続けるだろう。大事な事や大事な人や大事な物は、関係や境界に掬われない。

幻肢、というのがあるそうで、事故などで手や足を失って、なのに現実には存在しない手足がそこに存在するという感覚。「在る」というのはあくまで感覚。「無い」のも感覚、どっちも幻。

私とは何か?っていうのは、何か仮説があってそれを検証するといった類の問題ではなくて、人間のワンパターン化の逆、あらゆる「私」の発見なのかもしれない。

文化人類学者の西江雅之さんが何かの本だったかインタビューだったかで「地球上に私の物、私の土地なんてものはこれっぽっちも存在しなくて、結局最後に男と女がいる」みたいなことを言っていたのだけど、夫婦とかじゃなくて、たぶん誰の物でもない男と女ってことかなあ、なんて、思ったりして、「誰か」ではなくて男と女っていう、大事な違いっていう。

違いは共有できない、私物化できない、つきあうことしかできない、それは楽しいね、僕は「私」の為だけの独り言、検索できない思考、志向、嗜好、歯垢、至高、ぐるぐる同じ場所を回りながら、ねずみ花火みたいに。

わざとわかりづらく書いているんではなくてね、わからない。
ロンリテキ、なんてのは、ゲーム、あるいは詐欺。
多様性、なんて、当たり前すぎ。

とりあえずは、建設の反対、解体、「私」の作り直し。





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七尾太佳史
(ななおたかし)

「秋田ばる七尾」店主。毎週水曜日更新です。


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