聞く技術001



夕方に咲くアサガオみたいのだろうと思っていた。実際、小学生の頃、庭に植えたユウガオは、薄暗くなる頃に白い花が咲きだして、朝までにはしぼんでいた。ところが秋田県十文字町の農家さんから届いたユウガオはそれではなくて、自転車の籠から大分飛び出すような瓜だった。咲くユウガオは正しくはヨルガオで、食べるユウガオは味噌汁や炒め物にして、今週はそれがお店で好評でした。

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非常に疲れている時に、人の言うことを聞くのは面倒くさいもんだ。特に、あれがどうしてこうなって×××、なんていう理屈めいたことは、もー後にしてくれー!、という気持ちになる。早いとこ話が終わらないかなあという思いが強くなるから、相手の言っていることや言いたいことを理解するには至らない。もう一方、言う側は、相手が疲れていても疲れが一気に吹っ飛んでINPUTの興味が沸くような、そんな工夫をすればいいわけだが、とりあえず聞き方について、なので、言い方の工夫については、パス。

聞き方の工夫ということ。生身の人との会話に限らず、メールを読んだり、読書したり、ネット上の記事を読んだり、あるいは映像や音楽、そういうINPUT全般について考えてみたい。まずは受ける側の自分の性向というのが要チェック事項だ。聞く、受信する自分という機械の性能や特徴を理解しなきゃな。

聞くというのは自分とは異なる人の発するものを理解するわけだが、あー、知ってる知ってる、わかるわかる的に、相手と自分を安易に同化してしまいがち。理解、というのは面倒くさいからね。特別な勇気がいるような気がしたり、とか。理解が自分を侵食するのではないか、自分が崩れるのではないか、とか。理解する前に反撃しなくては!みたいな。

ところで、自分が何か自分の漠然としたもやもやの正体を探しているような状態、そういうときの「要なんでもINPUT」みたいなのが必要な状況というのはあるが、そういうのは、聞いているのではなくて、単なる材料探し、ネタ探しとしておきたい。その結果、たくさんの材料を仕入れて解決に向けた問いが明らかにになるかもしれない、あるいは、イメージがわいて何かを作るヒントになるかもしれない。しかし、聞くというのは出来るだけまっさらな心の状態で行われるのが良いのだと、今のところ、思う。

とはいっても、なんといっても人間であるから、特に対面の時がそうだが、格好つけたり、恥ずかしかったり、暑かったり、寒かったり、臭かったりということがあるから、ちゃちゃ入れずに、飽きずにしっかり人の話を聞くなんていうのはなかなか難しい。というか、その辺は対話の技術でもある。でもここでは、対話の一場面としての、しかし対話の本質としての、聞くということ、という(半分の)側面を問題にしてみたい。

自分という聞く機械、その性能がどういう癖があるのかを客観的に知っているといいと思う。発せられ、受け取る言葉はいつも喜びに満ちているとは限らない。むしろ恐怖や怒り、不安、危機というネガティブな感情の伴った内容が、聞くことにとっての最大の問題だろう。ネガティブな感情そのものは、今後生き延びていくうえで、アラーム!として、生き延びるために必要な感情であって、そのものは大事な感情である。ただ、それが発せられることと、それを聞くことは、また別のことと捉えなくてはいけなくて、例えば、安易な共感、ということが聞くことにとって障害になることもある、ということ。

その感情や気持ちに焦点をあてて考えたのが心理学ということなのだろうか?あるいは精神分析学とか。フロイトとかユングとか。その歴史をざっと追ってみて面白いと思うのは、最初は霊魂学みたいにちょっと肉体性があるとこから始まって、それが心理とか精神みたいに肉体とは別個の存在みたいに切り出して扱うようになって、現在では意識の流れ、あるいは情報処理の過程としてとらえるようになってきている。感情や気持ちというのは、それは独立して存在しているんじゃなくて、外界との関係であるということ。ならば、聞く、というのを考えるのは、益々面白いことだと思う。言うのが先か、聞くのが先か、どちらが先に起こったのかわからない。しかし、どちらも別々の行為で、同時に同じことが起こったら、ハウリングみたいに、ショートみたいに、それは悲鳴にしかならない、みたいなことになるだろう。

さてね、その感情や気持ちというのは、どういう風に動くものなのだろう?聞き方というのは、話す方と聞く方の相対性理論みたいなものなのだろうか?

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ところで、またモーリー・ロバートソンの話。先週のラジオ番組(block.fm)で、2020年くらいまでには日本でも大麻が解禁されるだろう、という予想と、その根拠を言っていた。最終的には自由が勝利するのだ、とかそういうことでは勿論なくて、現在の中南米というのは麻薬ギャングが支配していて(武装力もハンパない)、その勢いを止める手段として麻薬(大麻、少量のコカイン、覚醒剤)の合法化が南米、北米で進んでいて(合法化により麻薬の値段を下げ、ギャングの独占を防ぐ)、そうすると今後はギャングのターゲットは麻薬非合法の先進国になっていくから…という。トンデモ話に聞くか、とりあえず聞いておくか、聞いて慌てふためくか、聞くというのは、見ることと同様、結構覚悟が必要なことだなあ、と思う。冷戦以降のCIAが関わって生まれたアルカイダとかこの麻薬ギャングについて、その始まりはたぶん、他者への恐怖(アメリカ、という、「私」分裂症候群の行き着いた端的な場所)で、それを、恐怖を、誰かにそのままの感情で話すことは恥ずかしかったのだろう、っていう雰囲気については想像できるけどねー、そんな簡単なもんじゃないだろうけどねー、支配的な雰囲気に逆らうっていうのは大変だからねー、男たるもの弱音を吐いちゃいけないみたいなねー、ねー、聞いて聞いて!、なんて(あんまり)男は言わないし、黙ってオレの言うこと聞け!ってところで、言う方の負け、なんだけど、ほんとは(続く)。

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七尾太佳史
(ななおたかし)

「秋田ばる七尾」店主。毎週水曜日更新です。


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